昨日は常磐線の特急列車で小旅行をしてきたのだが、MAPアプリで列車の進行方向にある各駅を通過するたびに様々な人の記憶がよみがえってきた。かつて元弊社で勤務していた社員は現在は結婚して家族とともに我孫子市に在住している。出身は旭川市であるが、高校を卒業して大手コンピュータメーカーに就職し、その後退職して、弊社に中途で入社してきた。
当時は大手メーカーに就職するほど彼の頭脳は優れていた。しかし朝が起きれなくて、何度も電話で起こす日が続いたり、朝寝坊を繰り返す社員でした。自宅にも押しかけてドアや窓をたたいても部屋が真っ暗で起きないので困り果てたことがあります。弊社を退職したのも、理由は違う職業に就くということでした。しかし、職業を変えることはなかなかできないはずです。
ところが又同じ業種に再就職し、その後結婚して家族を持ったのです。漸く朝起こしてくれる相手が見つかったのです。我孫子市には有名なメーカーがありますので、彼も現在は仕事も安定して、円満に家庭生活を営んでいるようです。もう30年くらい年賀状を毎年いただいていることが何よりの安心材料です。
手前の松戸には長年懇意にしている先輩が住んでいます。かつては大手メーカーの幹部で横浜市に在住されていたが、関連会社に移られて仙台へ転勤された方です。その後、また関東に移られて現在の松戸市に在住である。過去に取引先でもあり、長年お付き合いしてきた方であるが、就職難の時代に学生結婚したご子息夫婦の入社を頼まれて、夫婦は無理だとご子息だけ事前に面接もせず採用を決めたことがある。
実は入社後に仕事の内容に難しさを感じたのか、出社拒否をして自宅を出た後に行方不明になっていた。自宅に電話したら出勤したとのことだが、待てども出社してこないので、社長室に呼んで厳しく叱ったことがある。本人は泣いて謝っていたが、その青年が勤続年数を重ね、現在は立派な先輩社員に成長したのである。コネで採用したので、特に甘やかさなかったのが功を奏したのだと思う。
少し先の牛久にも、かつてお世話になったお取引先の方が新興住宅地に引っ越しされたことで記憶している。40年前の出来事なので、当時は都心部へのベッドタウンとして栄えたところである。都内から茨城県の牛久という車内広告で盛んに宣伝していた新興住宅だが、当時は随分遠方に感じたほどで住宅の分譲がどんどん伸びていた。現在では住宅が過密している地域で、分譲地はさらに遠方まで新興住宅として広がっている。
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