2022年3月31日木曜日

21年度末に際して

2021年度も終わり、愈々明日から2022年度がスタートします。コロナ禍に悩まされて丸2年が経ちましたが、働き方改革などでテレワークが社会に浸透し業務に支障もなく21年度を無事に終えることができました。この間、コロナ感染拡大が続く中で東京五輪・パラリンピックなど世界のビッグスポーツイベントが開催されて盛り上がり国民も元気づけられました。

さて22年度が始まりますが、ロシアによるウクライナ侵攻で戦争状態が1か月も続いています。エネルギーの供給バランスが崩れ、原油価格の高騰と円安で輸入価格を押し上げ国内に物価高を齎しています。日銀は各国の利上げにも関わらず引き続き緩和策で円安傾向へ進んでいます。日本企業に魅力がないと外国資金も市場から引き揚げられて株安が続くことになります。

漸く人の移動も活発しつつ経済活動にプラスの兆しが見え始めましたが、ロシアの出方が世界経済に影響を及ぼす年になる可能性もあり、ひいては日本経済にも不透明感が漂いかねないところです。寧ろ早急にDXを積極的に進めて真剣に国や産業界の生産性を高めていくことを考えなければならないと思われます。


2022年3月30日水曜日

ある歯科医の話

 もう14年くらい通っている総合病院内の歯科がありましたが、担当の先生が辞められることになり歯科治療は3月末で終了となる予定で担当の先生に最後のご挨拶に行ってきました。前任の先生とは10年お付き合いしましたが、地方の実家に近い市街地で開業されることで辞められて現在の後任の先生へと引き継がれました。

その先生も大学でインプラントの治療を学ぶという事由でこの3月で退職されることになったのです。4年くらいのお付き合いでしたが、当初は前任の先生と比較されて患者さんからのクレームも多かったようですが、病院からの指導があったのかその後は対応も変わってきたようです。誰でも前任者と比較されるのは嫌なものですが、歯科医も職人気質だけでは顧客対応において難しい面もあります。

多くの患者さんがいましたので、長年続いた総合病院内の歯科の終了には驚かれた方も多かったと思います。私も妻と一緒に通っていたのでショックでしたが、先生からのご丁寧な書状と紹介状が届きましたし、新しい歯科医をご紹介いただきました。年齢は40歳前半だと思いますが、もっと歯科技術をさらに高めようという先生のお気持ちがお会いしてみて自然と伝わってきました。

どんな仕事でも世代ごとにアップデートしていく事が必要と言わていますので、これまでの経験を基にさらに自分自身の知識や技術を一段と高めて、アフターコロナの来るべき時代の変化に自信を持って対応して頂きたいと思います。


2022年3月29日火曜日

年度末現象

 年度末になると例年工事で道路が渋滞します。年度予算を使い切ろうという公共事業の特質があるからです。私もかつて建設業界にいた関係で工事の発注が年度末に偏る状況は知っていますが、相変わらずその傾向は変わらないようです。水道工事や下水工事で役所の管轄が違うため同じ道路を何回も掘り返して無駄とも思える工事も多々ありました。

公共工事は国が建設国債を発行して予算を組みますので、近年のように財政難だと年々少しずつ消化しますので自ずと工事も完成まで長期間に及びます。私の住まいの近辺でも30数年ぶりに漸く完成した道路があります。しかし古い道路は常に補修工事が伴います。インフラとしての道路が増えれば更に将来にわたり補修が必要となります。

工事は道路建設に携わる全国の多くの建設労働者の生活の支えにもなっていますので、毎年のように公共事業として国の予算として費用が捻出されます。すべて費用は税収で賄われるので国の経済を成長させなければ税収が不足し公共投資のための財源を増やせないのです。中国は日本の経済が停滞している間に高度経済成長をしてきましたので財源が豊富で交通インフラも瞬く間に完成しました。

2022年3月28日月曜日

社会人になって

父親も兄もサラリーマンを続けるタイプではなかったので、自分だけは地道に人生を歩もうと考えていました。残念ながら教職の道は断念し、たまたま入社した会社にお世話になることを決断しました。というのも大切な家族が出来たので家族を守るため必死にならなければという一家の主としての覚悟がありました。

結果的には父や兄と同じ道は踏まないと心に決めて社会に出たにもかかわらず、誘いに乗って同じ道を歩む羽目になってしまいました。しかし大きな企業で働かせていただいたので、のちに経験が活かせたことは幸いでした。学生時代は興味も湧かない業界でしたが魅力ある業界に身を移して本当に良かったと思います。

大學時代に仲の良かった連中は教職や役所や民間企業を終えて今はのんびり引退生活を楽しんでいますが、現役を続けている自分の方が彼らより幾分幸せではないだろうかと思います。つまり少しでも人の為に役に立てればひいては自分の幸せにもつながるからです。そのためにも心身ともに健康でありたいと考えています。

2022年3月25日金曜日

大学進学その2

 希望していた大学へは進学できませんでしたが、進学した規模の小さな大学は苦学生を支援するぬくもりのある様々な学生支援制度が色々あり、その恩恵を充分に受けることが出来ました。途中で辞めた新聞社には借りていた奨学金の残額を支払い、家庭教師と他のアルバイトなどで生計を立てました。上京してから実家には1円の負担もかけずに大学へ進学して卒業しました。

祖父母には反対を押し切って上京したわがままを通してくれたことに大変感謝しています。子どもの頃から両親には縁がありませんでしたが、祖父母との関係は自分の事として亡くなるまで続けました。当時は同級生の中で両親が離婚している家庭はありませんでしたが、一度も非行に走ることもなく高校まで故郷でのんびり過ごしました。

日本は高度成長で若者が都会へ出て核家族が広がりましたが、子どものためには祖父母、父母が家庭で一緒に暮らすことが一番望ましいと思います。成人してからは「親の二の舞はしない」というのが私の信念でした。子どもの事を考えない親の気持ちが信じられないという思いを子どもの頃から自分自身が経験したからです。





2022年3月24日木曜日

大学進学

 二度目の上京で新聞広告にて探して辿り着いた下宿先は中野区沼袋にある毎日新聞販売所でした。共同生活は北区赤羽と今回の中野区沼袋で二年目になるので慣れていました。新聞配達の仲間は10名の中で明治、法政、専修大学の学生以外はどこかに務めている人や全くの無職の人たちで受験生は私だけでした。

受験科目も5科目から3科目へ絞り、背水の陣で漸く翌年大学へ進学しました。残念ながら近場の大学は滑りましたので遠方まで通うことになりました。結果的に朝刊配って1限目はギリギリ、夕刊は仲間が夕食時に帰宅して仕事するという日課でした。今になっては反省ですが、やはり新聞配達をしながら大学へ行くのは夜間のほうが良ったようです。

新聞も現在は休刊日が度々ありますが、当時は1月2日の朝刊以外は休刊日はありませんでした。勿論、泊りがけでゼミの合宿など新聞配達の仕事をしている時に参加したことはありません。でも友達は多くて毎晩のように私の下宿先に寝泊まりする連中がいました。そんな中で新聞屋さんに束縛された生活からも愈々脱皮することにしました。

2022年3月23日水曜日

歴史に学ぶ

 社会人になって三度の飯より歴史が好きになりました。NHKの世界の歴史ドキュメンタリー物はナレーターの山根基世さんの独特の語りで今も記憶に残っています。日本史は多くの歴史番組などを録画しながら拝見してストーリーを覚えたり、歴史小説でさらに理解を深めたような気がします。歴史は変えられませんが、歴史から多くの事を学ぶことができます。

昨日は徳川慶喜についての議論を聴きましたが、薩長が勢いをつけて討幕を図っていた時代に15代将軍として幕府の立て直しに当たらざるを得ない立場で複雑な思いだったのではと分析されています。谷中霊園にある慶喜の墓地は拝見しましたが、大政奉還して政権を返上したとは言いながら徳川本家の菩提寺に祀られていなのも個人的には不思議に思う次第です。

薩長連合に適わないと思いきや将軍として徹底して戦う意志は無く京を離れたのも、機を見る有能な才覚とともに性格的には二面性を持った特異な人物だったと思われます。私自身、学校時代の歴史教育の場では単なる暗記科目として、受験対策レベルの知識であまり深い興味は湧きませんでしたが、社会人になって歴史学者の考えに傾聴しながら歴史を繰り返し勉強するようになりました。

2022年3月22日火曜日

お城巡りその2

春分の日の昨日は翌日の天候が崩れるという予報もありましたので、年初に計画したお城巡りに出掛けてきました。1月9日の駿府城を訪ねてからオミクロン株が大流行した関係でしばし遠出を慎んでいました。ソメイヨシノの桜前線を確認する気持ちもありましたので今回は静岡県の掛川城を目指しました。

日本100名城のひとつ掛川城の訪問は初めてでしたので戦国歴史を探索する興味も湧いてきました。掛川城の歴史を調べると地震で何度も崩壊した記録があり、駿河地方で如何に地震が多発していたかが窺えます。熊本城も普段経験しない地震で大変な被害を受けましたが、石垣を積み上げた城も地震には脆いようです。

天気も良かったし、温暖な静岡県では早くもソメイヨシノが開花していました。気ままな一人旅は自由で最高です。次回は桜前線が通過しないうちに家康の居城だった岡崎城の訪問を計画しています。姫路城までも日帰りの旅をしてきました、遠距離の行き来が短時間で可能なのも新幹線という便利な交通インフラがあるお蔭です。

2022年3月18日金曜日

卒業式

コロナ禍で自粛が続いた大学の卒業式へ3年ぶりに出席しました。何年経っても変わらない卒業生の晴れ姿を見たさに喜んで出席させていただいているようなものです。毎年、私の役割は卒業論文の表彰状を読み上げて学生さんに記念品を授与する役目ですが、時代の流れなのか下の名前が正確に読めないことが度々あり、もう少し事務局で配慮してほしかったところです。

本日の卒業式でもその名もズバリ「ひまわり」という何とも可愛らしい名前の学生さんもいました。今年はコロナ感染予防のために選ばれた学生さんしか卒業式会場に入場させなかったようなので、式次第も終始とても静かに進行しました。コロナ前は式の最中でおしゃべりをする学生も多く、招かれながらも大学側にクレームを申し上げたこともあります。

コロナ予防の為に祝賀会ももちろん中止ですが、卒業する学生さんの晴れ姿を拝見する年に一度の機会に私自身も健康な体で出席できたことは大変良かったと思います。コロナ禍で授業も学生生活も満足に味わえなかった経験は決して無駄になることはないと、学長からも申し訳ない思いとともにエールの言葉が述べられていました。私もその通りだと思いました。




2022年3月17日木曜日

禍根を残さない

昨日、ウクライナのゼレンスリー大統領の米国議会での演説を視聴しましたが、ロシアのウクライナ爆撃を過去の米国への空からの襲撃において日本の真珠湾攻撃と9.11を比喩として発せられた言葉を聴いてややショックでした。80年過ぎても世界の人々の脳裏には過去の歴史が禍根として日本人以上に刻まれているのですね。

「立つ鳥跡を逃がさず」ということわざがありますが、世界の超越したリーダーの行動は時として我々凡人には理解不能な振る舞いとしか映らないことも多々ありますが、ご本人にとっては周囲の感情などどうでもよいことなのでしょう。不思議なのは英雄扱いされながら最後には名誉を汚す行動も厭わない精神状態に陥ってしまうことです。

世界で唯一の被爆国である日本が核兵器禁止条約に批准しないのも、憲法に平和主義を謳い乍らも日本国自身が米国の核の傘で平和が守られているからだと思います。非核三原則も日本政府がひたすらに今日まで堅持してきていることで国際的にも理解が得られているのではないかと考えます。為政者には禍根を残さない政治を期待します。





2022年3月16日水曜日

利他的に

ロシアの侵攻でウクライナ情勢が危機に瀕している中で原油価格の上昇とともにガソリン価格が高騰していますが、街中で欧州の人たちがウクライナに対する同情心に感動を覚えました。それは、人々が一応にウクライナが大変な状況になっているので、ウクライナの苦労を思えばガソリンの値上がりも我慢したいと話していました。

日本人はガソリンの値上がりに対して自分の都合ばかりを考えますが、欧州の人はウクライナの大変さを第一に挙げて自分たちは我慢しようと異口同音に言います。苦しいのは自分たちよりウクライナの人たちだという優しい思いがあるから、避難してきた人に温かい支援の手を伸ばすのは当然の行いだと考えているのです。

日本は難民の受け入れも消極的だと海外から見られているようです。名古屋入国管理局の例もそうですが、国家として難民に対しての優しさが足りないと感じる次第です。日本人も海外で人道支援に尽くしている方々は多いので、国内でも利他的な発言や行動が今後も推進されることを期待します。

 

2022年3月15日火曜日

受験時代

今回は 少し自分史を遡ってお話ししてみたいと思います。高校時代は大学への進学を志してはいたものの、進学校でもないので気楽な3年間を過ごしました。唯一、高3年から始めた旺文社のラジオ講座が受験対策のようなものでした。高3の夏休みは大学進学への緊張感を味わうために、新聞配達のアルバイトを兼ねながら夜間の駿台予備校の夏期講習に通いました。

当時、都会の国立大受験生のレベルの高さに圧倒されたことを覚えています。帰郷してから受験勉強に本腰を入れたのですが、国立を受験するまでの学力には至らなかったようです。翌年、上京して東京都北区赤羽の新聞販売所に地方からの仲間とともに大学受験を目指して宅浪の1年間を過ごしました。

しかし受験生ながらのんびりしたもので、休みをもらって富士登山や富士五湖巡りを楽しんだ後に帰宅した翌日には急性盲腸炎で救急車で運ばれて入院する始末となりました。また何か月後に今度は痔の手術で再び1か月ほど入院することになりました。受験勉強どころか新聞配達の合間は入院生活という1年間でした。

その後かつての販売所仲間が皆どこへ進学して、その後どんな人生を送ったのかそれ以来ずっと音信不通ですが、私は新聞販売所を止めて故郷の国立大を受けるために帰郷したのです。しかしながら1浪での受験に失敗し、翌年春に祖父母の反対を押し切って再び上京することになってしまったのです。






2022年3月14日月曜日

通用する力

 会社経営は経営者の人生そのものだという気がします。それだけ覚悟を決めて経営しなければならないのです。弊社も財務基盤がぜい弱な頃には毎月資金繰り表を作って、常に預貯金の変動を睨みながら日々の経営をしてきました。結論を申しますと、資金繰りをしたり財務諸表を読めない人は会社経営は無理にしない方が無難だと思います。

会社が小さいときは人任せにはできないからです。かつて同業者でとても優秀な技術者の社長がいまして会社を潰したことがあります。大体、技術が優秀な経営者ほど営業や経理に疎い傾向があります。自分が率先して目の前のプロジェクトばかりに気が集中して会社の資金の流れを掌握していないんです。目先の仕事しか見えないのでマクロ的に経営を捉える能力がなかったのです。

私は大手に在籍していた若い頃から初歩的な経営を学んできました。それが無かったら転職して活躍することもできなかったでしょう。どんな職種でも通用する力を大きな会社にいるときは身に付けなければなりません。ぶら下がる人ばかりの会社では、これから大手でさえも将来生き残っていくことは不可能です。「寄らば大樹の陰」と思って就職して成功を掴める時代はもう過去の話だと思います。

2022年3月11日金曜日

復活への道その2

 バブル時代に社員寮として購入した幾つかのマンションは長らく資産に計上されていました。地方から新入社員を採用しなくても地元で採用できるようになった為に、寮としての所有マンションも必要なくなりましたので、外部に貸して賃貸収入用に活用しました。しかし不要になったマンションを次にはタイミングを見て売却するように計画しました。

最後に残ったマンションは、東京オリンピックの前に都内の不動産が上がり出したタイミングを見て売却しました。初めて取引した銀行から借り換えの融資を受けましたが、不動産には根抵当権が付けられていました。自己資本比率は改善していたのですが、売却しないと根抵当権の抹消はできないのです。

バブル時代に高値で取得した不動産が多かったので、当時は利払いだけでも苦労していましたので銀行での借り換えができたのは幸運でした。不動産も利益が出た時に売却損で落としました。当時、不動産の賃貸収入も安定はしていましたが、本業の収益ではないので早くから処分は考えていました。

会社で自社ビルを建てる経営者もいますが、私は長年の経験で自社ビルなど不動産は持たない主義です。やはり資金は企業として流動性を持たせる必要があるからです。手元資金は多ければ多いほど良いと思います。若い頃に資金繰りで大変苦労した経験があるからです。

2022年3月10日木曜日

復活への道

現在は財務内容も良くなり事業資金に困ることはなくなりましたが、バブル崩壊以降は仕事が激減して赤字経営となり、財務内容も厳しく、月次の運転資金が足りない状況でした。含み損の上、保証協会付き借入金は限度いっぱい借りて、その上に不動産担保でも融資を受けていましたので、年間の利息もかなり多額でした。

当時、不動産担保で高い利息にも関わらずバブル時に社員寮として購入したマンションの返済資金が事業に伸し掛かっていた上に、不況下で仕事がない中で社員を解雇しなかったので累積赤字が年々膨らんでいました。まさに海底に沈みかけていた船をもう一度浮上させようという経営だったのです。

当時はどん底の経営状況でしたが、もうこれ以上悪くなることもないし、ゼロのスタート台まで兎に角、財務諸表を戻すことに専念しました。累損を5年で処理して、あとは不動産借入金の返済を早める計画を立てました。幸いにも当時の小渕政権で不況対策資金を併せて1億円借りて利息の借り換えをすることが出来ました。

 

2022年3月9日水曜日

業界の違い

 前職の建設業界の事を思いますと、IT業界はかなり仕事に恵まれている業界だと今でも感じます。当時、私が勤務していた道路舗装業界の仕事は大型工事もあれば小型工事もあり、現場では圧倒的に小型工事が多く、着手から完工まで工期に1週間もかからない案件が大半で、終わると次の案件を探すのに東奔西走するわけです。すべて新規案件のために営業担当者は休む間もなく受注作業に追われ動き回るのです。

一方、日本のIT業界はゼネコン方式で大手企業から次々と案件が下りてくるので、下請け企業は技術者を用意すれば案件が続く場合が多いので、売り上げも毎月計上できるという恵まれた環境にあります。前職ではユーザーから直接受注し下請けに仕事を任せていたので、次々に案件を探すのは、営業としてライバルとの競争もあるし、日々厳しい環境でした。

IT業界も下請けに甘んじていれば当面の仕事の確保は可能ですが、プロジェクト管理を含めた業務ノウハウの蓄積は難しく、営業としても労務の提供だけを継続する経営になりがちです。しかし企業として独自のノウハウで成長発展することは難しくなります。直接のユーザーを開拓すると納品までのリスクはありますが、技術者は仕事を通じてやり遂げる難しさを経験することで成長し継続的に仕事も繋がります。

2022年3月8日火曜日

成長その2

 「大企業は中小企業の集まり」という考えは以前から変わりません。ビジネス書で「アメーバ経営」の話は皆さんご存じですが、収益力のある大企業は何10年も前から全国を小さなブロック制に分けて事業所ごとに独立採算制の経営を行っています。よって各事業所では徹底的に管理会計を叩きこまれます。お陰で私も20代の頃から経営感覚を身に付けることが出来ました。

今考えてみると、当時も小さな企業の社長みたいな役目を20代の頃から自分の仕事としてやらされていました。おそらく私のように若い頃から行動する人はそう多くはなかったと思います。上司から責任を持たされて自分で事業のすべてを取り仕切るのは面白いし、その上に遣り甲斐を感じます。上から言われたことをやるだけの人生ではつまらないと思っていたのです。

本来の仕事以上に余計な仕事をやるのですが、自分で動いて実績を上げれば上司も認めますし、指示されないでも仕事を自由に任せてくれるのです。仕事の範囲は自分で広げていけばいいのです。他の業界からIT業界へ転戦して勝負できたのは、日進月歩で進化する業界であり、技術的なスキルの積み重ねが必ずしも有利ではなかったからです。




2022年3月7日月曜日

成長時期

東京の大学を卒業して就職した会社での初めて勤務地は札幌でした。事前に殆ど何も知らされないで、薄暗くなった夕方の空港に迎えに来てもらって連れていかれたのは、市街の中心部からかなり隔たった地域にポツンと明かりが見えるプレハブの建物でした。

その隣には明日から働くプレハブの事務所があり、夕食時に到着した所もプレハブの社員寮でした。翌日から寮生活が始まり、朝食を終えて隣の事務所に1分もかからず出勤です。約3か月の寮生活でしたが、現在の妻が勤めていた会社を退職して結婚することになっていましたので営業事務職として自分のアパート探しも仕事の一つでした。

就職時にはオフィス勤務だとばかり考えていましたので、最初から現場事務所勤務というのは驚きでした。それに会社として北海道で一番稼ぐ現場事務所に送られたことが、様々な経験を通じて後々の自分を育ててくれたのだと思います。入社1年目は上司の先輩がいましたが、2年目には事務所全体の経営管理と実務を任されました。

2年目には新人も育てて他の地域に赴任させる役割も担いました。周りは先輩社員ばかりでしたが、道内で最大の事務所を担っているという責任感も自覚していました。毎年同じ仕事ばかりで事務職だけでは会社の戦力にならないと考えて現業を兼務しながら営業活動を始めました。そのことが奏功して新しい事務所を立ち上げることを任されてしまいました。

まったく知らない業界へ転職してもゼロから一を生み出す力が出せたのは、前職時代の野原を耕し、花を咲かせるような地道な経験で培われたものです。現在の会社も第2創業時にすべてゼロから顧客づくりをしましたので、かつての経営陣はまったく知らないお客様ばかりです。やはり会社をつくる時は独力で顧客を開拓すべきですし、人任せするなら会社はつくらない方がいいと思います。

私の経験を振り返りますと、社会人になって数年が社会人人生の一番の成長時期だと考えます。自分にはまだ困難だと思っても、先輩方に聴きながら経験することで大きく成長します。




2022年3月4日金曜日

省エネで体を動かしましょう。

長らく日本はデフレ脱却で苦労していましたが、今年はロシアのウクライナ侵略でロシア産の天然ガスの供給が不安定になりエネルギー価格が暴騰します。原油価格等の高騰はもろに消費財の原材料価格を押し上げます。しばらくは消費者物価の値上げ等で厳しい生活インフレを経験することになりそうですが状況が改善するまで電気の節約等で辛抱しましょう。

かつてオイルショック時代のようにはならないと思います。折角、テレワークが進んでいるのでシニア世代はウォーキング、若い方たちはランニングなど楽しんでみてはいかがでしょうか。3月6日日曜日は東京マラソンが久しぶりに開催されますが、実は私の娘も出場を楽しみにしています。まったく懲りない女性です。

2年前はフルマラソンで肉離れを起こして松葉杖で会社へ出勤したようですが、父親として娘の度外れた行動には驚くばかりです。私も今から20年前までは毎年5,6回は関東圏内のマラソン大会に出ていましたので、これも遺伝かと考える次第です。マラソンは過酷でケガも多いので決して無理するなと話していますが、中々言う事を聴かないようです。

  

2022年3月3日木曜日

まさかの事態

オミクロン株は相変わらず感染者の大幅な減少は見られない中、本日は3回目の接種を受けました。昨年の1,2回目の接種の際はネットでの予約が殺到して行政の対応も慣れない面がありましたが、今回は医療側も受診者も落ち着いた雰囲気でした。

但し現状の「BA.1」から「BA.2」へ既存のオミクロン株が置き換わることで、再度、感染状況が悪化する可能性もあり厄介なことです。半年後は4回目の接種も無きにしも非ずで、今後、免疫を持ち続けることになるのかもしれません。

しかし、時間の経過とともに新たなワクチンの開発や効果的な治療薬が出回るのもそう遠くはないでしょう。今やマスクの着用が普通となり、外出後はうがい手洗いもするのが当たり前となりました。一時は不足していたマスクも自宅のそこら中に常備するようになりました。

マスク不足で政府が数百億円もの費用をかけて全国民に配布した、あの「アベノマスク」は一体何だったのかと今になって思えば、もっと他に使い道があったのではと考える次第です。コロナ禍やウクライナ情勢で大きく世界経済が変動を迎えています。まさかの事態に対する備えを痛切に感じるこの頃です。

2022年3月2日水曜日

世界平和

今も昔も戦地に我が子が出陣する際に悲しみに暮れる女性が映し出されますが、世界平和を考える上で女性が国のリーダーになることも必要ではないかと考えます。もしドイツのメルケルが現役で今も首相だったらロシアのプーチンを説得できなかっただろうかとも思うのです。男性同士だとお互いに自己の都合ばかり主張して妥協としない傾向があります。

本日は国際女性デー記念のシンポジウムを視聴しました。まだまだ日本は女性活躍の点で北欧諸国などと比較するとかなり遅れていますが、漸く社会的な動きが活発となり、徐々にインクルーシブな未来が到来しつつあるような気がします。幸いにして最近Clubhouseなどにリスナーとして参加してみますと多くの女性が活発な意見交換をされていることに安堵しています。

日本の労働力は将来確実に減少しますので、これからのAIによる社会変化を契機に女性が大学、企業、地域社会など様々な場面で活躍する場をつくり、多様性ある社会を目指すために思考を切り替えることが必要だと思います。ロシアによるウクライナ侵攻の真っ只中ですが、争いより平和を希求するのは世界中を見渡しても女性の方が多いような気がします。 



2022年3月1日火曜日

AIネットワーク社会

「AIネットワーク社会フォーラム2022~AIと共生する明日へ~」のシンポジウムを視聴しました。EUのような先進的なAI法規制を参考に、今後日本がどのように国内で法整備されていくかが重要だと思いました。日本では行政で率先してAIを活用しようという動きがありますが、EUでは最上位の厳格な活用分野とされていることへの認識も必要のようです。

AI技術は今後急速に進んで活用領域も広がって行きますが、それと同時に総合的なAIガバメントに対する専門家の知見による意見の交流が重要です。AIも人間が開発していくツールなので倫理性を重視した活用が実践されなけれななりません。今後のネットワーク社会はAI無くして進化は難しいので、人類を幸福にすることを前提に技術が流布されるべきです。

コロナ禍でテレワークも一気に進み、DXを目指してAI等のデジタル技術は急速に進歩していきます。さらに5Gの実用化が目前となるため、我々はIoTの更なる進化に向けて様々なステークホルダーとともに協調して技術的に対応していかなければなりません。AIの利活用で企業における人の役割も少しずつ変わってくるでしょう。