2022年3月10日木曜日

復活への道

現在は財務内容も良くなり事業資金に困ることはなくなりましたが、バブル崩壊以降は仕事が激減して赤字経営となり、財務内容も厳しく、月次の運転資金が足りない状況でした。含み損の上、保証協会付き借入金は限度いっぱい借りて、その上に不動産担保でも融資を受けていましたので、年間の利息もかなり多額でした。

当時、不動産担保で高い利息にも関わらずバブル時に社員寮として購入したマンションの返済資金が事業に伸し掛かっていた上に、不況下で仕事がない中で社員を解雇しなかったので累積赤字が年々膨らんでいました。まさに海底に沈みかけていた船をもう一度浮上させようという経営だったのです。

当時はどん底の経営状況でしたが、もうこれ以上悪くなることもないし、ゼロのスタート台まで兎に角、財務諸表を戻すことに専念しました。累損を5年で処理して、あとは不動産借入金の返済を早める計画を立てました。幸いにも当時の小渕政権で不況対策資金を併せて1億円借りて利息の借り換えをすることが出来ました。

 

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