2020年12月28日月曜日

出生数

 日本の19年度の出生数は80万人くらいのようですが、中国は1465万人の子どもが19年度生まれたようです。それでも58年ぶりの低水準の出生数のようです。中国では一時は人口増を抑制するために一人っ子政策を取ってきましたが、現在は増やす方向に舵を切っているみたいです。日本は人口の10倍以上の14億人いる中国と比べても出生数が少な過ぎます。

私の世代は現在の出生数の3倍以上の2百万人台の子どもが毎年誕生していましたので、1億2千万人の現在の人口から考えると80万人とは危機的状況です。私も2人しか子どもは持ちませんでしたが、今思えば4人くらいいたほうが良かったのですが、集団就職で都会へ出てきた私の世代も子どもは2人が圧倒的に多いようで、経済的にも限界がありました。

つまり40年前から日本には将来に向けての綿密な人口政策がなかったという事です。会社は毎年、将来の成長のために新卒者を雇用して平均年齢も維持するように努めますが、国を会社だとすれば、高齢化してとうの昔に倒産していることになります。やはり政治や行政に司る人は将来を見据えて、子どもは国が責任を持って育てるような意識が必要だと思います。

新しい年を目前にしてコロナ禍にばかり目が行っていますが、富裕層に税金を掛けてでも日本の将来に向けてもっと出生数を増やす政策を練ることが重要だと思います。目の前の蠅ばかり追っているような気がしてなりません。知の巨人ドラッガーから学びを得たマーケティングの大家であるフィリップ・コトラー教授のような人に日本の有るべき姿を学ぶべきだと思います。

2020年12月25日金曜日

年末

 年末押し迫る中で季節外れの「桜の会」とか言うニュースが舞い戻ってきていますが、桜と言いますと、私は戦国時代の派手好きとして知られる豊臣秀吉が最晩年に催した「醍醐の花見」の宴会が頭に浮かんできます。

無謀な朝鮮出兵で各大名は疲弊してしまっている状況下で、秀吉はのんびりと花見見物ですから、冷静沈着な徳川家康の性格からすれば秀吉の行動は呆れたことだったろうとも想像します。

今、新型コロナの感染拡大に際して各国のリーダーの国民に対する呼びかけが話題を生んでいます。国民と同じ目線でオンラインで訴えかけますので、国民も信頼して行動を自粛しようと言っている光景をテレビで拝見しますと、「我が国は如何に?」と思ったりします。

幸運にも日本は島国なので欧州のように陸続きでコロナ感染が広がる心配も少なくて済みます。日本人のように国から強制されることもなく、礼儀正しく、自主的にマスクをつけるという自然な形でルールも真面目に守る国民は世界でも珍しいと思います。

お陰様で弊社では一人もコロナ感染者がでませんでしたが、スタッフたちの社員への注意の呼びかけは社内中に浸透していたと思います。やはり会社は全員の協力無くして困難な状況下ではビジネス市場で戦えませんので、リーダーの責任は重大だと思う次第です。

今年も社会全体に色んな動きがあり、国民も苦しみに遭遇しましたが、きっと来年は良い一年であることを期待しつつ、あと僅かな日々の年末を締めくくりたいと思います。

 

2020年12月24日木曜日

所感

 

(外務省は23日、外交文書26冊、1万ページ超を一般公開した。1989年6月の中国の天安門事件や中国を非難する政治宣言を採択した翌7月の主要国首脳会議(アルシュ・サミット)に関する文書が柱になった。)

(日本が1989年7月の主要7カ国首脳会議(アルシュ・サミット)で天安門事件の非難宣言を巡り中国と欧米諸国の板挟みに苦慮した実態が23日公開の外交文書で判明した。)

(対中関係維持に腐心する日本と人権重視の欧米が「1対6」の構図で激突した。宇野宗佑首相は交渉で「中国の孤立化回避」の文言を入れ込むなど融和に努めた。)

新聞朝刊で上記の記事を読み、かつての日本外交の骨太さを感じました。日本は地政学的にもアジア外交で力量を示さないと米中の狭間で将来に渡り苦労を強いられます。天安門事件当時は中国も思想的に歴史の岐路に立されていたと思われます。

鄧小平の「人権より国権」という思想が現在も引き継がれている故、欧米との価値観の隔たりが出ているものと考えます。超大国が長年の国家的思想を変える事は為政者にとっても国難を避ける為に極めて困難だと思います。

我が国も外交で、周辺国との人間関係というパイプを絶やさない事が大変重要だと考える次第です。欧米の目を気にし過ぎて、自力での外交力を十分に果たせないと判断力も弱体化します。私の杞憂であれば幸いです。


 

2020年12月23日水曜日

学生支援

 本年4月から某大学の非常勤講師を仰せつかっていますが、あいにく新学期よりコロナにより大学自体が閉鎖となり、折角対面での授業に張り切っていたのですが、動画コンテンツを大学のサーバに配信するのみとなりました。卒業式にも毎年出席していたのですが、卒業式も入学式もご存じの通り中止です。今年は学園祭もオンラインで開催された模様で、各大学においても未曽有の出来事が起きた一年でした。

その中で本日取り上げましたのは、コロナ禍で就学困難な学生に金銭的支援をしようと、大学本部のほかに学部内でも検討して支援金を決定しました。年内に他の方が予備審査をして、来年早々に学生の最終面接に私も同席して被支援者を選定することとなりました。此処だけの話ですが、支援金への応募者の中にはひとり親世帯の学生や個人の物欲で支援を得ようという学生も少なからずいたとのことです。

大学生も高校生も将来が見通せず不安を抱いていると思いますが、世の中が変革する時代は新たな雇用が生まれるチャンスでもあります。経済的な格差は与えられた運命だと割り切って、学生の身分でも自分自身で自立することを目指してほしいと思います。社会的な支援も公平さが一番重要です。その意味で支援の選定基準の中で成績を重視することは当たり前だと思うわけです。

コロナ禍で生活の困窮に対して、自責の念を抱くどころか他責の念ばかりの主張が目立つこの頃のような気も致します。発症元の中国が何故コロナ感染を沈め、経済活動を正常化させてプラス成長に戻すことができたのか、我が国はあまり参考にしたくないようにも思えます。米中貿易摩擦はこれからも続くでしょうが、日本の学生もアジア新興国のハングリー精神に学んで我が国の経済を牽引してほしいです。それは地政学的にも大変重要なことだと考えます。

2020年12月22日火曜日

My History(その2)

高校時代、自宅から通える県立高校の分校に第8期生として入学しました。進学校へは下宿が必要なので経済的な理由で断念し、偏差値の高くない高校でのんびりした学校生活を送りました。祖父母と3人家族だったので、休日は農作業の手伝いが多かったです。

高校3年になり祖父母や親戚からは田舎に残るように説得されましたが、どうしても大学進学を目指そうと、旺文社の大学受験ラジオ講座から受験準備を始めました。学費を稼ぐために夏休みに上京し、新聞配達のアルバイトをしながら駿台予備校の夜間に通いました。

その時の国立を目指して競争している連中と田舎でのんびり過ごしてきた私の実力の差はあまりにも大きく、精神的にもショックを受けて田舎へ帰省したことを今でも記憶しています。結果的にはゼロから勉強するしかないと、翌年卒業と同時に上京することを決断しました。

若い頃から私は性格的に、自分で決めたら自分の思った通りに行動するタイプです。今でも家族からは長い間振り回されてきたと言われていますが、多くの方に御迷惑ばかりかけてきたのは事実です。今は歳も取りましたが、若い頃は確かに血気盛んな時期がありました。 

2020年12月21日月曜日

My History

田舎の高校を卒業して、家族や親せき反対を押し切って上京してきたのが1971年の春頃でした。最初の住まいは東京都北区の静かな住宅街にある新聞販売所での住み込み生活でした。それまで東京は銀座しか見たことがなく、随分静かな所もあるのだなぁと当時は思った次第です。片道の交通費と僅かな小遣い銭を持って上京しましたが、その晩から夕食にありつけて東京での住み込み生活がスタートしました。

新聞販売所には大学進学の浪人生がほとんどでしたが、3割は何処からともなく流れてきた無職の人たちでした。新聞配達員は大学生でも無職の人でも時々入れ替わるのですが、ある時、中年の人が入ってきました。所内で親しくなるうちに前科のある人だというのが後に無銭飲食で捕まって発覚しました。

高校を卒業したばかりで浪人中の私がその人から教わったのが競馬です。それから長年にわたり競馬やパチンコに嵌ってしまいました。お金を使うことに関しては働いて稼いだお金なので誰にも干渉されないのですが、浪人の身でありながらギャンブルに熱中して受験勉強も疎かになったのは事実です。

それ以外に、二度も違う病で入退院を繰り返すなどして、1年かけて挑んだ国立大学の受験は見事に桜が散りました。翌年は私大に切り替えて再度進学のために上京して、中野区の新聞販売所にお世話になりました。この販売所にも様々な訳ありの人たちがいました。長い話なりますので、本日はこの辺で終わりにしたいと思います。

2020年12月18日金曜日

シリコンバレー

今から20年近く前に2度ほどシリコンバレーの企業を訪問したことがあります。まだサン・マイクロシステムズやシリコングラフィックスが業績絶好調の頃です。

サンノゼのインキュベーションセンターでの講師は、日本企業でシリコンバレーで積極的な活動が目立つのはソフトバンクくらいだと話していたのが印象的でした。

サンフランシスコでは立ち上がって1,2年のLINUX企業を訪問したのですが、200名くらいの技術者をあっという間に採用する米国ベンチャーのスピード感には驚きました。

その前からも当時も、シリコンバレーは雨後の筍の如くベンチャーが生まれては消え、消えては新しく誕生する土壌でした。現在のGoogleやFacebookなど、もっと後にスタンフォード大学などの学生ベンチャーから誕生した企業です。

一方の我が国は、その後の2000年に世界一のIT先進国を目指すと言い出したのです。しかし現実は、明確なビジョンも戦略も変革に伴う実践も無くて今日(2020年)を迎えたのです。

まだ当時の日本は既存の産業界が潤っていたので、ITを駆使した産業構造の変化を志す機運はあまり感じられませんでした。

しかし、新型コロナを機にIT後進国の汚名挽回を新政権も掲げましたので、最後の追い上げのチャンスだと思って我々も力を発揮したいと思います。

 


2020年12月17日木曜日

生き方

昨日、私たちのふるさと(天草)会の会員さんから10時ごろにSNSで、NHKテレビで夜7時半から某会員さんが出演するという情報が届きました。その場では朗報なので是非拝見したいと思っていたのですが、夕刻の定時ごろにはすっかりその事を忘れて帰宅しました。

ところが、毎日テレビばかり見ている家内が、たまたま偶然にも当該の天草の番組を録画していたのです。午前中には、是非拝見したいと楽しみにしていたので本当に嬉しかったですね。内容は東京から天草へ引っ越しする新婚夫婦の話題でした。

ご夫婦とも東京のホテル業界に務めていて知り合った仲ですが、今回のコロナ禍の影響もあり、ご主人が故郷・天草のホテルに再就職先が決まり、都会から地方の天草へ引っ越すことになったという内容です。

実家から車で20分の海沿いの古民家を庭付き500万円という安さで購入して住んでいました。実家のご両親も大喜びで、奥様も地方での生活に憧れていたとの事で、若い新婚夫婦の笑顔を見て羨ましい限りでした。 

テレビで放映されることで、若者のUターン現象が再び見直されることを期待するばかりです。私たちの先輩や私たちの時代は都会へ集団就職するのが当たり前で、再び故郷へ戻る人はほとんど少なかったため、地方の過疎化は年々進んで行きました。

新型コロナは都会で働く若者の生き方を大きく変えることでしょう。実際に、全国どこの地方でも都会の3分の1の生活費で暮らせるところばかりです。人口減の地方で就職したり、都会の仕事が地方でも可能となれば素晴らしい日本になるだろうと思います。

2020年12月16日水曜日

PCR検査

 最近、漸く民間のPCR検査センターが首都圏にお目見えするようになりましたが、返す返す何故、早くから国費で大量の検査をしなかったのでしょう。個人が数万円も払わなければPCR検査を受けられない、感染の不安を払拭できないのは国家の医療システムとしておかしいような気がいたします。

マスクの供給やGoToの前に、国家予算で希望する国民に何回も無料でPCR検査を進めるべきでした。大量にスピーディに検査を行えば必ずコストは下がるはずです。感染者が見えない、何倍もの広がりを特徴とするコロナウイルスをしらみつぶしに検査しない限り、安心して経済は動かせないと思うのです。

旅行も会食も事前に国民がPCR検査を受けて陰性が保てれば、その後の感染の可能性は低くなるはずです。PCR検査を受けていない日本人がほとんどですから、国内を移動する感染者からコロナ感染するのは物理的に防げない気がいたします。個人的には疫病対策の予算をPCR検査に使って感染を未然に防ぐ方が効率的だと考えます。 

感染後に対処する今のシステムでは収束は難しい気がいたします。しっかり検査をして感染の不安を取り除かない限り、この不安定な状況は続くような思いがいたします。医療に関して全くの素人ながら発言させていただきました。一刻も早く感染者が収束して医療体制の崩壊に繋がらないことを一国民として祈るばかりです。

2020年12月15日火曜日

床屋

 もう10年近く通っている床屋があります。私も戸塚に30数年住んでいますが、床屋と歯科医だけは数えきれないくらい替えました。歯科医は15年近く同じところですが、今回の床屋も出店時からなので長い付き合いとなります。平均20~30日以内にはお店に顔を出しますが、コロナ禍でも人間の髪は伸びるので、床屋業はそれほど経営的に影響はないようです。

一方、駅近くに家内が通っていた美容院がありましたが、無理な多店舗展開が影響したのか緊急事態宣言後に倒産しました。店舗が潰れるのはあっという間ですが、古くから地道にやっている商売の方はコロナ禍でも健在のようです。私は待つのが嫌いなので、床屋も客が空いている平日の閉店前を見計らって入ります。待つ時間は無駄だと思うからです。

床屋は世の中の様々な情報を聴けるところです。私も色んな話をしますが、逆に聴かれることが床屋では多いのです。昨日は初めて「嘱託ですか?コロナでボーナスは出たのですか?」と聴かれて、「嘱託のようなものです。ボーナスは???」と会話を濁しました。昨年4月に入社した床屋さんの娘さんはボーナスが業績が下がり減ったようです。これは私が一方的に引き出した情報です。

会話はテクニックです。私もいろんな方と会って話しますが、自分の事を言う前に相手からの情報を引き出すことが多いです。聴かれたら人は話しますので、タイミングを計って話に興味を示しながら、相手になるべく多くをしゃべらせるようにしています。人は知ってほしい事があっても、相手が快く聴いてくれなければ話さないものです。

 

 

2020年12月14日月曜日

クラシック

 今年はベートーベン生誕250年らしいです。正確に言うと12月16日に満250歳となるわけです。先日から週末にベートーベンの交響曲を楽しみに聴いていますが、ベートーベンの曲で何が一番人気があるかと申しますと、年末に近いからなのか、やはり「交響曲第9」です。私も毎年、恒例のNHK交響楽団による「第9」はEテレで欠かさずに聴かせていただいています。

第9は年の締めくくりに相応しい曲だからです。今年も第9で大いにコロナ禍の年末を盛り上げてほしいと思います。さらに2番目に人気なのは「悲愴」のようです。悲愴は悲しみで痛ましい事を意味しますが、ベートーベンの曲ではそれほどの悲愴感は感じないし、気持ちが安らぐような曲です。

ベートーベンは1800年代に活躍した作曲家ですが、日本では江戸末期でちょんまげの時代です。私はその頃のヨーロッパの物語を好んで観ていますが、日本は当時かなり時代が遅れていたことが分かります。当時の鎖国の影響が大きかったのだと思います。

ベートーベンやモーツアルトやショパンなど優れた作曲家のクラシック曲が250年後の今でも世界中で愛されていることには驚きを感じます。残念ながら日本の昭和初期の童謡はあまり世界的に人気を博していませんが、海外で日本の音楽家が学ぶ機会があれば違ったかもしれません。

また元旦恒例の「ウィーンフィル管弦楽団」のニューイヤーコンサートも毎年聴いていますが、年明けに相応しく毎年楽しみにしているコンサートです。ヨハンシュトラウスの行進曲はまた新年を飾るには格別の曲です。ニューイヤーコンサートを聴いて新年の元気づけをしたいと思います。

 

2020年12月11日金曜日

研究会

 本日は、長年お世話になった某研究会のクロージングイベントがオンラインで開催され、同日宅配されたデリバリーのオードブルを食しながら皆さんと一緒に語り合いました。オープニングはオーケストラの演奏会そして最後は抽選会と、事務局側の方の段取りはさぞ大変ご苦労されたことと思います。残念ながらオードブルのメニュー画像は割愛しますが、折角の料理なので残さずに食べてしまうのもやっとの思いでした。

このIT研究会に参加して30年くらいになりますが、会員の勉強と親睦が目的です。私のように古くから会に参加して、本日のフィナーレまで顔を出された方はおそらく数少ないのではないかと思います。それだけITの変化のスピードは速く、会に関わった多くの方々もこの場に存在は無く、既に引退されているのでしょう。

この1年はコロナですべてのイベントが中止に追い込まれました。年末年始のあらゆる忘年会や新年会もすべて中止のようです。今回、年末最後に企画された古くからお付き合いしてきた研究会の本日のオンラインイベントは、事務局の皆さんがご苦労された企画でまずまず成功裏に終わったと参加者として感じた次第です。

2020年12月10日木曜日

年賀状

 そろそろ年賀状を書く時期となりました。この時期になると喪中の葉書が届くので宛名を見るたびに心臓がドキドキさせられます。私はこれまで多くの先輩方にお世話になってきましたので、この時期に回顧することが多いのです。IT業界にはもう35年近くいますが、その前に札幌で9年間建設業界で働いていました。そこでは日々行き交うダンプのほこりが舞う現場事務所で、日々肉体労働もかねて営業事務職として勤務していました。

構内には大きなプラントも3基あり、一日中が騒音と隣り合わせの中で仕事をするという環境でした。同じ敷地内に下請けさんの事務所や労務者の宿舎があり、元請けとしてその管轄もしていましたので、下請けさんとの親しい関係がありました。のちに事務職上がりの営業職となってからは、下請けさんとの関係は建設現場でも続き、下請け元請けの間柄で若い頃から現場の親方たちに大変可愛がっていただきました。

どういうわけか「いなちゃん」と下請けの皆さんから親しげに呼ばれていました。社員とは立場も違いますが、同じ人間同士の付き合いを相手の人も認めてくれたものと思います。仕事は人間関係がすべての始まりです。人として信頼されなければ、相手もこちら側の気持ちに応えてくれません。前職を退職してから一度も再会してなかった下請けの親方とは前年まで年に一回の年賀状を交わしていました。

喪中の葉書が奥様から送られてきて、今年の年末から年賀状を出すことも無くなりました。一度、お元気なうちにご挨拶に訪れようと考えていたのですが、大体は思いが叶わないことが多いようです。私は過去の人に会いたい気持ちが異常に強い面があります。相手は何も会いたいなどと全く思わないのですけど、人並み以上に過去を恋しむタイプのようです。わが社にも過去から多くの人々が関係しましたが、今では皆さんがお元気なのか懐かしいです。

2020年12月9日水曜日

ベトナム戦争

 かつてベトナム戦争(1955-1975)は20年間に及ぶ長い闘いでした。結果的に南ベトナム側の米国自由主義陣営は北ベトナム共産党陣営に敗れました。東西冷戦時代の象徴的な戦争でしたが、正に「小が大を制す」闘いだったように小中学時代の私は記憶しています。 つまり、正面からではなく相手の弱点を自分たちの強みで攻めるという戦略です。

企業経営も戦略的には戦争に似たところがあります。大企業と正面から競っても勝てないので、中小企業らしく相手が攻めにくい領域で強みを生かしていくしかありません。かつてベンチャー企業だったマイクロソフトがコンピュータ業界の巨像だったIBMを凌いだのも同じ土俵で闘わなかったからです。

それはすべての世界に言えることです。かつて世界一の競争力を誇っていた日本企業が、90年代以降は周辺国の急速な追い上げで競争力が落ちていったのも、市場の変化に対応できず小回りが利かなくなったからだと思います。強いものや頭の良いものが勝つのではなく、変化に対応できるものが勝つのです。

コロナ禍を契機に日本企業は再び世界を制する生き方を考えなければならないと考える次第です。これから先、ICTがリアルな世界に様々な変化をもたらします。デジタル時代の変化に対応したビジネスを戦略的に進める企業が市場を制するものと考えます。かつてのベトナム戦争に学べるものは多いような気がします。

 

2020年12月8日火曜日

セキュリティ対策

 急速なキャッシュレス経済が進行する中、ネット上のセキュリティに対する消費者の不安心理は払拭されているとは言えないのが現状です。ネット上の便利さの裏には犯罪の影も存在しますので注意が必要です。気を付けていれば送られてくる詐欺まがいのメールを無視できますが、慣れないと危うく危険に接することになりますので、周囲にも注意の喚起が必要です。

一つ改善してほしいのは金融機関の暗証番号です。昨今のオレオレ詐欺事件の多発状況を見ても4桁の暗証番号だけで預貯金の引き出しができるのは危険以外何物でもない気がします。高齢者が仮に騙されても簡単に預貯金が引き出せないような複雑なセキュリティを、預金者保護のためにも早期に考案して装備すべきだと思います。

今後、店舗縮小による相談窓口も限られてくると思いますので、詐欺事件の犯罪を減らすためにも消費者向けに厳重なセキュリティ対策が施されるべきです。電子化が進められることは時代の進歩で避けられませんが、高齢者向けに既存の店舗でデジタル教育も必要ではないかと思います。

今後、デジタル化とともに金融犯罪は減ることはなく、便利さの上に寧ろ知能犯が後を絶たないことが考えられます。これまでにない防犯対策が必要ではないでしょうか。 4桁の暗証番号の入力のみの現状は早期に改めて頂きたいものです。事件にイタチごっこの対応ではなく、先取りの改善が必要とされます。


2020年12月7日月曜日

冤罪

 かつて米国のテレビドラマで、往年の名優デビッド・ジャンセン主演の「逃亡者」という番組にくぎ付けになったことがあります。無実の罪を着せられた被疑者が、警察の捜査の目をうまく潜り抜けて土壇場でギリギリに逃げまわるシーンなのですが、昨日、一昨日の二夜連続で放映されたテレビ朝日の開局60周年記念番組「逃亡者」も似たようなもので、米国の名作をモデルに制作されたらしく大変見応えがありました。

こんな話をしても世代間でドラマの内容にも好みが違いますので、実際に同感してくださる方は少ないと思いますが、私としては久々に居眠りもせず土日の夜は最後までテレビドラマを楽しみました。過去に無実の罪を着せられた人は少なくないと思います。免田元死刑囚が長年にわたり無実を訴えて、高齢になられてから再審請求が通り無実(冤罪)となりましたが、先週93歳でしたかニュースでお亡くなりになられたことを知りました。

視聴者も、もし自分や家族が無実の罪に着せられたらという思いと、逃亡者が真犯人が見つかる前に捕まらないことを祈りながら、テレビドラマと言えども心臓がドキドキしながら迫真のドラマを観続けるわけです。最近は様々なサスペンスドラマも増えましたが、同じようなストーリーばかりで正直なところ飽きがきていました。最近、毎週放映されているコロンボ刑事もすべて過去に観た作品ばかりですが時々時間つぶしに観ています。

2020年12月4日金曜日

犯罪

 昨日はどうしてなのか、ブログも日記も忘れていました。一日中多忙でもなかったのですが、時々、日記も付け忘れて後で気がつくことがあります。では、昨日分のブログをついでに書きたいと思います。

インターネットの普及と監視カメラの活用で犯罪が頻繁にニュースなどで報道されますが、根底には視聴率を競う各放送局の思惑もあるのでしょう。しかし、実際の犯罪は昭和の頃より治安が改善して減少しているはずです。

かつてはネット犯罪はなくてもリアルの詐欺や横領事件は多かったと思います。監視カメラなどないので、犯人の検挙も難しく、一方的な冤罪もあり得たわけです。監視カメラの普及で犯罪防止効果は抜群だと感じます。

ただ近年が昭和の古い時代と違うのは、僅かな金銭に伴う犯罪が多発していることだと思います。つまり、世の中がすべてお金に支配されているからではないでしょうか。もっと人間的な幸せを育む家庭環境や地域との繋がりが必要だと思います。



中国

欧米諸国がコロナ感染により経済が縮小する中で、中国が一人勝ちで成長を続けています。おそらく、この勢いだと10年もしないうちに中国が米国を抜いて世界一の経済大国になる可能性があります。米国の4倍以上の人口を抱える中国ですから、いずれは米国を経済力でも軍事力でも上回ることが考えられます。大国同士の米中が軍事的に衝突することはないと思いますが、経済戦争は続くと思います。

日本の政治や経済の舵取りが将来の課題ですが、国土や人口では負けますが、大国が見習うべき節度ある政治や経済活動を取ることが必要だと思います。幸いにも日本は国家の分断が存在しません。中国も共産党が政治を支配し、民主主義が根付かない難しさがありますし、米国も今回の大統領選挙であらわになったように国民的分断が見られます。

他国を占領しないし、平和主義を貫いてきた日本は海外からも認められていると思います。やや日本人が内向き思考だという意見もありますが、海外からの人材も積極的に受け入れてダイバーシティを強力に進めていくことが重要だと思います。英語もおぼつかない私自身も、韓国語とまでは無理ですが、中国語に最近は関心を示しています。中国語は必須の世の中になっていくでしょう。

中国には10年以上前より3度訪問していますが、経済成長を遂げての発展の度合いには驚くばかりです。実際に訪問して感じましたが、日本が意識しているほど中国人の対日感情は悪くなく、良いという印象を抱きました。対立しているのは日中とも一部のナショナリストのみと思われます。個人的には隣国の中国ともっと仲良く付き合っていくべきだというのが私の考えです。

2020年12月2日水曜日

個人情報

時代はビッグデータを活用して如何にして次世代のビジネス変革に活かすかが問われていますが、一方では個人情報保護法に抵触しないようにデータの活用が制限されています。DXを進めるにおいて、業種によっては様々な個人情報を必要とする場合が考えられます。特に医療業界において先端医療を推進する場合には、大量の機微な情報を取り扱うことになりますので、個人情報保護法により厳しい制約が伴います。

個人情報保護法が成立して、漸く個人の情報が厳格に守られるようになりましたが、法律の施行以前は個人の情報を営利目的で売り買いすることが普通で、悪用されても法律的には放置状態でした。現在は個人情報の漏洩に対して厳しい罰則が科されるようになり、犯罪防止にも大変寄与していると考えます。

しかし一方で、医療業界において個人情報を今後どのように活用するかは、先進医療を進めるうえで大変重要な国家的課題だと思われます。医療を含めた国の社会保障費も国家財政を圧迫しており、疾病の早期発見や未病を促進するためにも様々な個人の医療情報を活用する手段は避けられないところです。

本来は個人情報保護法は個人情報の悪用を厳重に取り締まるために施行された法律だと思いますが、情報漏洩に対する人間の認識の甘さが、一方では閉鎖社会をもたらした面が無きにしも非ずというところではないでしょうか。 法律を守るとともに情報の扱い方も法的に更に整備されるべきだと思います。

2020年12月1日火曜日

議論

議論というとお互いの対立みたいに勘違いする人がいます。確かに私も学生の頃は深夜まで政治論争をしていた事もありますが、社会人になると仕事上での議論となるので、学生の頃より遥かに冷静に人の意見を聴きながら議論ができるようになります。

技術系の会社では直線的な思考がもとで議論が組み合わないことがありますが、そこには文系的な柔軟性が求められます。本日は某大学のオンライン・テクノモールと称してのイベントに参加して様々な専門の先生の話を聴きました。

最後に特定の先生方の研究室に入室して意見交換の後、また再結集して先生方や産業界の人と意見交換をしました。某大学は学部の壁が他大学と違って無い風土の特徴があるようで、専門の違う先生方がお互いの意見を尊重する姿勢には大変感心しました。

これからはオンラインでも双方向の積極的な議論に慣れることが大切だと思われました。産学連携やイノベーションなどを通して、実際の実用化に至るには課題が山積しています。本日も医療における個人情報に関する意見が多数出ましたが、皆で未来志向を持って議論を進めることが重要となります。