2026年8月7日金曜日

時代の変化

夏の甲子園が始まったばかりであるが、酷暑続きのため試合時間帯が大幅に変更された。第一試合は午前8時から、そして第2試合から第4試合は午後1時30分から夜のナイターまで、これまでは昼間の時間帯に試合が行われ夕方に終了するというパターンであったが、プロ野球と同じ時間帯でナイターまで試合時間が延長され、一般のサラリーマンも甲子園の試合を楽しめようになった。

高校野球の試合はプロ野球と違って、緊張のあまり選手によるエラーやワイルドピッチによって思わぬ結果になることが多い。必ずしもヒットの数が点数に結びつかないこともある。最近は審判によるスポーツの判定に異議を唱えて、ビデオで判定をすることが多くなった。人間の審判は判定を誤ることもあるので、度々自動判定システムが使われる。

大相撲なども微妙な判定に至ることも多いので、行事の軍配が審判員の協議によって差し違えで覆ることもある。バレーなどもライン上の判定は自動化されているし、主審の判定に異議があればビデオ判定のチャレンジが許されている。将来はフィジカルAIによる試合の判定が普通になるだろう。昨日は横浜球場で試合後にドローンによるイルミネーションが披露されていたが、AI技術の進化は早い。

 


2026年8月6日木曜日

偶然の出会い

 今日は広島原爆81年で、8:15に黙祷して一日が始まる。午前中11:30〜14:30は丸の内で昼食会、16時過ぎに帰宅して、今度は18:00〜21:30に夜の納涼会へ参加した。昨日同様に終日までスケジュールとなった。

帰路に、今、22:15に電車の中でブログを執筆中である。納涼会のゲストは元日航パイロットの方で、先週たまたま山崎豊子原作の「沈まぬ太陽.」をテレビで観たばかりで、偶然の出会いであった。

でも、納涼会で広島の平和式典に関する話題が、何人か挨拶された中で一言も出なかったのは誠に残念な事であった。

以上、本日はこれにて失礼したい。



2026年8月5日水曜日

沿線の思い出

 昨日は常磐線の特急列車で小旅行をしてきたのだが、MAPアプリで列車の進行方向にある各駅を通過するたびに様々な人の記憶がよみがえってきた。かつて元弊社で勤務していた社員は現在は結婚して家族とともに我孫子市に在住している。出身は旭川市であるが、高校を卒業して大手コンピュータメーカーに就職し、その後退職して、弊社に中途で入社してきた。

当時は大手メーカーに就職するほど彼の頭脳は優れていた。しかし朝が起きれなくて、何度も電話で起こす日が続いたり、朝寝坊を繰り返す社員でした。自宅にも押しかけてドアや窓をたたいても部屋が真っ暗で起きないので困り果てたことがあります。弊社を退職したのも、理由は違う職業に就くということでした。しかし、職業を変えることはなかなかできないはずです。

ところが又同じ業種に再就職し、その後結婚して家族を持ったのです。漸く朝起こしてくれる相手が見つかったのです。我孫子市には有名なメーカーがありますので、彼も現在は仕事も安定して、円満に家庭生活を営んでいるようです。もう30年くらい年賀状を毎年いただいていることが何よりの安心材料です。

手前の松戸には長年懇意にしている先輩が住んでいます。かつては大手メーカーの幹部で横浜市に在住されていたが、関連会社に移られて仙台へ転勤された方です。その後、また関東に移られて現在の松戸市に在住である。過去に取引先でもあり、長年お付き合いしてきた方であるが、就職難の時代に学生結婚したご子息夫婦の入社を頼まれて、夫婦は無理だとご子息だけ事前に面接もせず採用を決めたことがある。

実は入社後に仕事の内容に難しさを感じたのか、出社拒否をして自宅を出た後に行方不明になっていた。自宅に電話したら出勤したとのことだが、待てども出社してこないので、社長室に呼んで厳しく叱ったことがある。本人は泣いて謝っていたが、その青年が勤続年数を重ね、現在は立派な先輩社員に成長したのである。コネで採用したので、特に甘やかさなかったのが功を奏したのだと思う。

少し先の牛久にも、かつてお世話になったお取引先の方が新興住宅地に引っ越しされたことで記憶している。40年前の出来事なので、当時は都心部へのベッドタウンとして栄えたところである。都内から茨城県の牛久という車内広告で盛んに宣伝していた新興住宅だが、当時は随分遠方に感じたほどで住宅の分譲がどんどん伸びていた。現在では住宅が過密している地域で、分譲地はさらに遠方まで新興住宅として広がっている。



2026年8月4日火曜日

実現した訪問

 今朝、ラジオ深夜便のゲストで筑波海軍航空隊記念館の代表をしている、金澤大介さんのインタビューを聴いた影響で、予てから訪問したかった土浦の海軍航空隊記念館のことが急に気になって早速下調べをした。正式には茨城県の阿見町にある予科練平和記念館のことらしく、思い立ったら吉日で、早速、横浜からは少し遠方だが訪ねることにした。

実は私たち兄弟と縁が薄かった父親が、学生時代に予科練へ進み海軍航空隊として訓練した場所である。8月15日の終戦があと何日か延びていれば特攻隊として出撃していたようである。さすれば父の結婚もなかっただろうし、私もこの世に生まれていなかったことになる。運命のような気がして、一度父が体験した戦前の足跡を辿ってみたかったのである。

「百聞は一見に如かず」で当該記念館を訪れて、終戦記念日を前に戦時中の出来事に触れてみたのである。ご覧になった方もいると思うが、記念館は①入隊②訓練③心情④飛翔⑤交流⑥窮迫⑦特攻と、7つの部屋に様々な展示がなされていた。興味本位で父の名簿を記念館のどこかに見つけられないかと、様々な写真集を開いてみたが期待外れだった。

これまで幾度となく戦争の歴史を様々なメディアで拝見してきたが、戦争は勝った方も負けた方も、何も得をしないし、ただ人命を奪うだけである。日本は無駄な戦争を仕掛けたものだと、無条件降伏の敗戦を境に日本中の誰もが漸く気づいたのである。310万人もの尊い犠牲者が過去に存在して現在の日本がある、と場内放送されていたのが印象的であった。

2026年8月3日月曜日

習慣

 最近、家族が周りで会話している内容をよく聴いていないからなのか、「話していたじゃない」と家族から時々言われることがある。考えてみると、何十年も会社のトップで仕事をしていた頃は、部下からの報告を聴くことばかりで、周囲の会話の内容に注意を払うこともなかった。

仕事を離れて家族と過ごす時間が増えてきて、周囲の早い会話の流れについていけない自分があるのだろう。「聴いていなかったの?」と家族から諭されることは珍しくない。そろそろ目線を周囲と同じ視線で、会話の内容に深く耳を傾ける習慣に変える必要がある。

かつては仕事上で部下から「前に報告していますよ」と、こちらから尋ねることがあると言われることもあった。部下からの「言った言わない」ことを繰り返さないために、事前にメールに書いて送ってほしいと、忘れやすい自分のために依頼したこともある。

翻って、家族に対してはもっと普段の会話に耳を傾けるべきだと我ながら反省している。特に子供たちは我々より遥かに若いので、互いに交わす流暢な会話にも集中して耳を傾け、話の内容を把握すべきであろう。最近、子供と交わす会話が増えてきたので、夫婦同士で通じた会話のリズムも同様にいかないようである。


2026年7月31日金曜日

変身




 2か月前に大阪から東京へ引っ越してきた長女夫婦が、実家の模様替えのために長女だけ我が家へ居候することになり早2か月近くになる。雌のトイプードル(8歳)も一緒に連れてきたのだが、食事はあまり食べないし、散歩も嫌いで歩こうとしない。いつも膝の上に乗ってばかりで、元気のない犬だった。

ところが次女の飼う雌のトイプードル(3歳)に刺激されてか、一緒に食事させることで餌を獲られまいと共に食事をするようになった。一匹だといつでも食べられると思い、残したりするのだが一緒に食事をさせることで食べ残すことがなくなった。

散歩も次女のトイプードルは散歩が大好きなのだが、長女の犬は散歩嫌いで全く歩かないのである。ところが一緒に散歩に出掛けるようになってから、刺激を受けたのか、おしりを押されて歩き出すようになった。実は数日前から散歩の楽しさを覚えたのか、驚くようにリードを引っ張り、歩くようになった。変身したみたいである。

2026年7月30日木曜日

震災御見舞




地震の発生は予測もつかないし、防ぎようがない。確かにそうだが、日本列島、地震の発生が多いのは事実なので、まさかの災害に備えて、日頃から防災グッズの準備をしておくべきである。10年前の「平成28年熊本地震」が発生するまで、熊本は全国的にも地震が少ない県だと言われてきた。ところが、地質調査によって活断層の存在が原因であることが判明したのである。

あれから10年、余震ともいえるような巨大な地震「令和8年熊本地震」がまたもや発生した。熊本県人の私も、修復中の熊本城が真っ先に気になったが、郷土の天草のことを最優先に考えて親戚や知人の安否確認をした。運よく被災はなかったようだが、一晩中、揺れの多さや大きさに怖かったと親戚では話していた。熊本市や八代市などでは特に被害が大きかったようだ。

家屋の倒壊のほか道路の陥没など、生活のライフラインが寸断されて、目下のところ断水や停電に見舞われた地域もあるようだが、一刻も早い復旧を望むばかりである。熊本は半導体産業をはじめ、研究所や工場の集積地でもあり、日本経済を支えている重要な拠点でもある。これまでも台風や豪雨災害に見舞われて、復興までまだ道半ばの地域もあるが、どうか頑張ってほしい。

「災害は忘れたころにやってくる」と言うが、悲しい出来事がまた到来してしまった。