2021年11月30日火曜日

行政のアナログ化

昨日、何年振りか職業安定所へ提出の書類に押印して吃驚したことがあります。半世紀くらい前の書式が今でも存在して提出書類として使われていたからです。私自身、2,30年前からノーカーボンの手書き書類は何とか効率化されないのかと感じていました。IT先進国ではあり得ないのが日本における行政向け提出書類のアナログ化の現状だと思います。

行政への提出書類は、行政側が企業の事務の効率化の為に改変させなければ企業の事務作業の負担は減りません。日本の失われた30年は、過去の首相が世界一のIT先進国を目指すと宣言しながら行政は何も行動せず、気が付いたら行政のデジタル化において既に後進国となってしまったわけです。

デジタル化も難しい行政の各種手続きを一挙にDXなどとても短期間でできることではないと思います。しかし待ったなしに進めざるを得ないのが日本の現状なので、誕生したばかりのデジタル庁にはもっと産業界の声を吸い上げて期限付きで行政手続きの簡素化を進めてほしいと思います。

2021年11月29日月曜日

テクノロジー

先日、地方に住む高齢の親戚が救急車で運ばれた上で、ドクターヘリで遠隔の病院に運ばれました。結果は特に異状は発見されずに済みましたが、医療体制の対応の素早さに都会に住む我々も吃驚しました。約1か月後にドクターヘリからの請求書が届いたようですが、何とあまりにも費用が安くて(5千円)さらに吃驚です。

年金受給者なので収入に応じた負担金のようですが、山岳での救助などはおそらく金額の桁が違うのではないかと考えます。最近、最先端のテクノロジーに「空飛ぶタクシー」の話題も見かけますが、大型ドローンのような人を運ぶシステムの導入によって、ドクターヘリと並ぶような救急の医療体制も近い将来に検討される必要がある気がします。

厚生労働省と国土交通省の管轄が交差する分野にはまだまだ需要の余地が大きいと思われます。デジタル庁の範囲が広すぎて、現在のスタイルではなかなか省庁間のイノベーションは生まれないのではないでしょうか。本日は終日にわたり大学発のAI関連のスタートアップのイベントを視聴しました。

今後は産学間による新産業のスタートアップを民の力で盛り上げていかなければ、我が国に残された時間はないと言われています。コロナ禍によって願ってもないオンラインの活用で様々なテクノロジーの情報が広く誰の目にも見れるようになりましたので、日本独自のコミュニケーション力を発揮すれば世界初のビジネスチャンスも到来すると思います。

2021年11月26日金曜日

コラム

日経の「危機にすくむ」というコラムで、大変気になる記事がありましたので以下に抜粋しました。(国のかじ取りを任されたはずの政治が思考を止め、将来ビジョンを描くはずの官僚は気概を失った。政治も官僚も動かない本末転倒な状況に日本はある)、というものです。私もこの記事に全く同感です。政治主導の名の下に展開されてきた日本の行政はこれまで長い間思考停止が続いてきたように思われます。

日本は言われても気が付かないし、是正しようとしない傾向があります。このように日経新聞でバッサリと論じられると読者としても良く言ったと評したくなるのです。公務員の退職者が年々増えているのも仕事にやりがいを見いだせないことが原因だと思うのです。志望者が減ると、ひいては人材の質の低下に繋がります。公立の学校教員になり手が不足しているのも同様で、教育現場の人材の質の低下は最も深刻な問題です。

今後、どうしたら明るい未来が訪れるのかと考えるに当たり、先ずは現状認識しますと、今の18歳の若者の統計では日本の将来は暗いという回答が大多数であることです。 日本の大人たちは素直に若者の意見に耳を傾けて、夢を持てる未来社会の実現を図るために危機感を持って対策を論じるべきだと考えます。子どもたちにも大人たちが嘘をつかずに信頼できる後ろ姿を見せられるかどうかだと思うのです。

 

2021年11月25日木曜日

人生

 私事ながら社会へ出るまで決して順風満帆でもなかったので、負けたくないという意地は人一倍強かったと思います。しかし所詮、人と対比しても長い目で見れば全く意味がないとも言えるのです。あまり人の真似をしないで、自分の人生は自分で思ったように描くことでないでしょうか。

近年、北欧の人々の生き方を見ていてつくづく感じました。人口は日本の20分の1にも関わらず、人生を豊かに生きている人々が多いことに気づきます。子育ては男性の人が中心で、女性が仕事をし易い社会的環境があるのです。日本は北欧などにもっと学ぶべきだと思うのです。

コロナ禍により私自身も在宅勤務が増えましたが、生活様式が従来の姿には戻るべきではないと考えています。つまり、これからは新しい人生の過ごし方が必要だと思うからです。もっとバラエティに自由な時間を使って今までの発想を変えたいのです。

残された自分の時間を如何に有効に使うかを、これから先はじっくり考えながら生きていきたいと考えています。皆さんも、一度だけの人生を自ら創意工夫して過ごされたらどうかと思います。コロナ禍でマイナス面も多かったですが、できれば人生を変えるきっかけにしたいものです。

2021年11月24日水曜日

IT産業

日本も大企業から働き方改革がアフターコロナでも更に進んでいくとホワイトカラーの生産性が一段と向上すると思います。日本の2次産業である製造業は円高により大企業を中心に海外へ工場を移しましたが、中小製造業は殆どが日本にそのまま残っています。今、DXが声高に叫ばれていますが、実態はなかなか進まないのが現状ではないでしょうか。

それは中小ユーザー企業にDXを推進するIT部門や人材がいないからだと思います。大企業はこれから積極的にIT人材を囲い込みますので、我々は彼らにできないデジタルの価値を武器に顧客へ提供していかなければ生き残れないと思います。弊社もいずれその時代が来ると気が付いてリーマンショックを契機にして戦略的に手を打ってきました。

おそらく今後5年くらいの間にIT産業は集約されて、独自性を持つIT企業だけが生き残っていくことでしょう。エンタープライズ系の分野においては、ユーザー企業のIT人材が従来のIT産業の人材より比率的に増えていくことでしょう。しかし、基盤系やインフラ系やネットワーク系など高度な専門性のある分野は専門のIT企業によるサービスが広く展開されるでしょう。

2021年11月22日月曜日

恩師

 高校を卒業して半世紀たちますが、未だに時々高校時代の恩師と話す機会があります。普通、半世紀も経つと恩師との関係は既に途切れていることが多いのですが、まだ何人かの先生と年賀状のやり取りが続いています。その中で今でも元気な高校時代の恩師がいまして、現在も予備校で物理を教えています。

実は先生が大学を卒業して教職に就いたばかりの頃に、初めて赴任した我が母校である高校でお会いしたのです。当時、先生は独身で教員住宅に一人で住んでいましたので、泊りで時々住宅へ押しかけていました。その後、下宿先を変えて、食事で通われていた向かいの食堂の娘さんと結婚されましたが、その家がたまたま我が家と遠い親戚でした。

親戚で奥様とも近しい関係だったために、その後は先生との関係がさらに緊密になりました。教え子を分け隔てをしない人徳のある先生なので、同級生は先生と私に関しての事情は知らないと思います。 しかし、幾つになっても現役で仕事を続けながら頭脳を使っていれば人間は老化しない事を身をもって教えられているような気がします。私も見習いたいと思います。

2021年11月19日金曜日

弁当の話

コロナ禍で昨年から行きつけのお店に2年近く入っていません。他のお客さんも入っているので大丈夫かとは思うのですが、中の座る場所が狭く入店する気持ちになれません。よって昨年からスーパーの弁当か自前の弁当で大体お昼は済ませています。

その弁当について今回は話したいと思います。小学生の頃は給食でしたが、中学から高校までは弁当でした。毎日、祖母が6年間早朝に起きて作ってくれた弁当のおかずはメインが卵焼きでした。お店が近くにないので卵焼きの他は漬物や梅干しだったように記憶しています。

鶏を飼っていたので卵焼きはいつでも家で作れるのですが、ハムやソーセージのような贅沢なおかずは学校で友達と交換していました。友達は卵焼きが美味しいと言ってくれますが、私は毎日卵焼きばかりなので飽きていました。昼食のおかずを物々交換するのも楽しみでした。

社会人の独身時代は寮で昼食が出ていましたが、新婚生活になってからは毎日味噌汁付きのランチジャーを持参していました。弁当と言えば子ども時代は祖母の作ったものしか食べたことはありませんでしたが、妻の弁当は毎日の昼食が楽しみなほど、おかずは色とりどりで豊富なメニューでした。

コロナ禍で再び妻の弁当を時々持参するようになりましたが、昼も中身が多少は楽しみですが若い頃とは随分違うようです。料理も弁当作りも苦にならない妻でつくづく良かったと思います。後片付けは好きではないようなので私の出番ですが、茶碗洗いだけはまったく苦になりません。我が家は何でも反対です。


2021年11月18日木曜日

道州制

コロナ前の2019年にある団体で北欧を訪ねました。目的はDXの調査でしたが、当時は日本でDXという言葉はほとんど聴かれませんでした。翌年、突如コロナが流行して、デジタルの波が急速に日本へも到来し、不思議なもので異口同音に皆一斉にDXを叫びだしたのです。

今回はDXの話ではなく、DXの進んだ北欧の国と2周遅れとも言われた日本とは何が違ったのかを比較したのです。それはフィンランドやオランダの人口は500万人、スウェーデンは大国で1千万人というように大体一つの国は人口が約500万人から1千万人なのです。

つまり日本もかつて一時議論されたように、国を北欧の人口並みに10から15位に分割して道州制を目指していれば、現在のように一極集中することはなかったと思います。1億2千万人を中央集権で収めようとしてきたことが成長力を弱体化させた原因だと思うのです。

この話を人にすると維新が道州制を主張していたと言われましたが、私は北欧を視察して自分で考えたことは、今の都道府県を大きく括って道州制みたいにした方が物事の決定スピードが一段と速いと思ったのです。

道州制の議論は首都移転とともに国には20年前にあったものです。早くから道州制を考えていれば地方の過疎化も進まなかっただろうし、行政改革もできたからです。過去には後戻りできませんが、これから考えても人口減少は避けられないので、今更混乱を招くだけで実現は無理だと思います。

 

2021年11月17日水曜日

プライスリーダー

かつて松下電器の松下幸之助氏とダイエーの中内功氏の戦いは今でも脳裡に焼き付いていますが、プライスリーダーは誰なのかが激しく争われたものですが、メーカーか小売りか消費者にとっても大変判断が難しいものです。結果的には歴史は松下電器(現在のパナソニック)に軍配が上がったように見られています。

つまり、プライスリーダーになることは流通過程の中では容易ではないということです。ネットの普及でBto Cが様々な業種で拝見できますように、競争に打ち勝つには従来のレガシーな戦い方では通用しない時代となっています。我々の業界のビジネスも過去を振り返ってみるとプライスリーダーが誰なのか判別がつかないほど多重構造の世界でした。

業界が海外勢にこぞって立ち遅れてしまったのも、構造上の問題だったように思います。つまり、他力本願で生きてきて自らがプライスリーダーとなって新しい市場をまったく創ってこなかったのです。VUCAと呼ばれる時代を迎えて生存競争はさらに厳しくなりますが、自ら考えてチャレンジしていく集団を目指していかなければ業界で生き残れないと思います。


2021年11月16日火曜日

杞憂

 最近、日本が少しずつ目を覚ましつつあるような気がします。「泰平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)たった四杯で夜も眠れず」ペリー率いる蒸気船が4隻やって来て幕府は眠れぬほどの大騒ぎという意味でした。財政赤字大国にもかかわらず、最近やたらと国が補助金など資金をばら撒いているような印象を受けます。

1300兆円の国債の半分は日銀が持ち、国民の金融資産が1800兆円もありますし、対外資産も、ODAもありますので、無駄金を使わないで、もっと生きるお金の使い方をすれば心配事の杞憂も減ります。どうして、もっと早く気が付かなかったのでしょう。思うに、ぬるま湯が段々熱くなり、お尻が火傷するような危機感を感じてきたのではないでしょうか。

批判や諦めに近い言葉は耳に胼胝ができるくらい聴きますが、どうしたら良いのか国が気が付かない限り庶民の思いは実現できません。私の勘違いかもしれませんが、最近の国は随分気前がいいように感じます。ご自分の懐は痛まないので太っ腹になるのかもしれないですね。でもアベノマスクみたいな無駄遣いだけは止めてほしいものです。

2021年11月15日月曜日

週明けの一日

小室圭・眞子様ご夫妻も今朝のニュースでは無事にニューヨークに到着されたようです。さて本日は10年以上振りなのかはっきり覚えていませんが、久方ぶりに来社されたお客様は以前に異業種交流会で親しくしていたことがある方でした。久しぶりでしたので、お互いに会社の歴史を紐解きながらの懐かしい話をしながら時間の経過もすっかり忘れていました。

さてCOP26も閉幕しましたが、各国の合意を文書に盛り込むことの困難さが露呈した国際会議でした。火力発電所を段階的に削減することに努力するという内容で一致したようですが、温暖化防止への危機意識は国の政策当事者によっても国民意識ともかなり温度差があるように感じました。

核の問題も軍事費の問題も国際協調というのは現時点では無理なので、せめて地球環境問題くらいは後世に付けを残さないためにも、各国が協調して真剣に自国で取り組んでほしいものです。このような国際会議に、多くの国々が横並びで一緒に議論することは何より重要なことだと思います。

2021年11月12日金曜日

罪を憎んで人を憎まず

 日本人の心って素晴らしいなぁとつくづく思います。タイトルはラジオ深夜便に出演された日航ジャンボ機墜落事故遺族会のある方のお言葉です。事故の原因はボーイング機の整備不良によるものでしたが、大切な家族を亡くした遺族の思いは、人の不注意で起きた事故そのものは憎むけれども航空機関連に関わった人を憎まないということです。

世の中には過失で人を死に至らしめる人もいますが、故意なら被害者としては許されないことですが、過失致死の場合はどんなに加害者を憎んでもどうしようもありません。事故という人の犯した罪を憎み、二度と事故が起きないような、被害者を苦しめないような対策が必要と思うのです。人の命は大切です。大切な人の命を失った人の悲しみは図り様がありません。

戦争で家族や友人を亡くしても、起きた戦争を憎んだとしても敵を憎んでも何も解決にはなりません。武士の時代の仇討も罪となりますし、戦争で復讐しても反逆されることにもなります。日航機の遺族の方が悲しむことで、亡き家族に愛が伝わるとおっしゃっていました。何と深みのある素晴らしいお言葉だろうと思いました。

 

2021年11月11日木曜日

日本の在り方

DeNAの南場さんが経団連の副会長に就任したことで内心とても期待しています。表で発言される機会が増えて我々にも日本の課題への考察が間接的に伝わってきます。長年、重厚長大の企業で経団連のトップが占められていましたが、亡くなられた中西会長時代より時代の流れがグローバルスタンダードの体制に徐々に移行してきたようです。

高度成長時代は地方から都会へと人材が流動化して経済を成長させてきましたが、これからの時代は海外で学ぶ若い人材をもっと増やして、一部では富を国内へ逆流させることも戦略的に必要だと思います。理由は市場の中心が海外ですから、海外で事業を起こし世界市場で戦える力を国内に回帰させることも考えるべきです。

デジタル技術においても米中の戦いが今後さらに激しくなると思います。おそらく日本は両国には技術のスピードで追い付けないので、両国の先進的な技術を先取りして疑似化で新市場を狙うことも一つの戦い方だと思われます。プライドを捨てて素直に学ぶことは戦後日本が歩んできた道でもあります。恥ずべきことではないと思います。





2021年11月10日水曜日

母のプライド

私の母(実母)は12年前に86歳で亡くなりました。私が6歳頃に協議離婚で旧姓に戻り、途中再婚しましたがやがて離婚し、旧姓のまま生涯を終えました。独居老人として20年間は一人アパート生活を送っていました。当然、私は実子の一人でもあるので最後の高齢者施設での生活の面倒を見ました。

戸籍上は除籍しており独り身なので、老後は役所から生活保護を受けた方がいいと何度も勧められたようですが、大正時代の頑固な気質とプライドが強く、生涯他人の世話にならないという意志の強さがありました。背後に子どもがいるという安心感もあったからだと思います。

今朝のニュースによると全国で1万9千世帯が生活保護費を受給しているようです。中には仕事もしないで生活保護を受けている世帯もあると聞きます。コロナ禍で仕事を無くした方も多いと思いますが、私の母は70代の頃もお茶屋の行商をしながら一人で生きていました。

独り身で自立するために50代で運転免許も取り、一人でお茶のお得意先を地道に開拓して、僅かな国民年金と自分の行商での稼ぎで日々の生活を支えていました。

母は7人兄妹の長女としてかつては裕福な家庭に育ち女学校まで出ましたが、戦中戦後、当時としては珍しいほど結婚生活で躓き、人並みに恵まれない人生を送りましたが、自分なりに幸せだったのではないかと思います。

 

2021年11月9日火曜日

仲間づくり

 学生時代は新聞配達のアルバイトや他のアルバイトでサークルにも入れなかったのですが、今でもとても有意義な学生生活だったと思います。都内の新聞販売所には全国から様々な人が集まってきていました。過去の経歴も様々で(後から判明した)犯罪歴のある人もいたり、何が目的で新聞配達の仕事をしているのか内情の知れない人もいましたが、人を観る目は養われたと思います。

多くはまじめな勤労学生でしたが、中には進学を目指すのでもなく将来何をしたいのかはっきりしない自由業のような人もいました。私自身も九州の田舎町から希望に胸を膨らませて進学の為に上京してきましたが、考えてみると多くの仲間やお客様にも支えられた学生生活でしたし、多くの友人にも恵まれました。

社会人になって建設業界に一時身を置いたこともありますが、会社の仲間以外にお客様との接点が後々の人生にプラスに働いたように思われます。社会人になっても社内外の仲間づくりの大切さを若い人には知っていただきたいと思います。会社の中だけの人間関係では世界が狭すぎますし、一度きりの与えられた人生の時間を仲間づくりに活用しなければ勿体ないと感じるからです。


2021年11月8日月曜日

陽気な一日

 このところしばし休んでいたウォーキングを数か月ぶりに再開したのですが、直近に無理をして距離を伸ばしたのが原因なのか、今朝テレビ体操中に急に腰痛が走りました。月曜日で出勤予定でしたが用心のため在宅勤務に切り替えましたので、週明けの陽気な一日を過ごしました。

年を取ると無理はいけないのですが、気持ちだけは若いのでつい無理をしてしまいがちです。今日一日自宅で休養すると明日は回復すると思います。明日はインフルエンザの接種を予定していますが、現在はもうワクチンが足りないという話も聴いています。

コロナ感染者もロシアやドイツでは再拡大しているよいうですが、我が国は幸運にも大幅に感染者が減少しています。本日は政府の分科会が開かれ尾身会長の会見に依りますと、ステージを5段階のレベル1へ引き下げる案が了承されたようです。

緊急事態宣言のさなか都内では8月には医療崩壊も叫ばれましたが、何とか感染者数が収束の方向へ進んで本当によかったと思います。しかし、今後海外からの渡航者が増えると再び感染拡大につながりかねないので、しっかりした水際対策が必要かと思います。




2021年11月5日金曜日

Clubhouseその2

ZOOMなどを使った対話や情報収集は最近では当たり前になりました。2か月くらい前から始めたClubhouseについては何度か取り上げましたが、最近はこれに嵌りまして毎日欠かさず朝の5時から8時くらいまで色んな方の話を聴いています。無料で様々な情報を自宅で簡単に手に入れる機会がClubuhouseよってもたらされたような気がします。

コロナ前では考えられないほど、この便利なツールの登場でメリットを享受している人は多いと思います。但し、適切なルームを探さないと日々の大切な時間を浪費する可能性もあります。知ることと行動することでは大きな違いがありますので、知識を具体化することは容易ではありませんが、できることから実践したらよいのではと考える次第です。

半年前にClubhouseが立ち上がった時は100万人のユーザーが存在していたようですが、衰退したその中で継続して残った方たちが再び集客を積極的に行っているようです。私個人の印象としては無料でマーケティングできる唯一のツールではないかと考えます。今後、Clubhouseはマーケティングツールとして更に人々の間で拡大していくのではないかと予測します。

2021年11月4日木曜日

学校づくりは希望づくり

今朝はカンボジアのポルポト政権下での大量虐殺事件によって両親を無くしたカンボジア難民の子どもたち14人を引き取って18歳まで育てた、カトリック吉祥寺教会神父である後藤様のインタビューを興味深く聴きました。

その中で里子のブン・ランさんとの出会いにより、共同してカンボジアに19か所の学校を建てられたというお話でした。後藤さんは長岡藩士、小林虎三郎の「米100俵」の精神を受け継いでカンボジアの子どもたちを救う気になられたようです。

後藤神父の下で育ったランさんがカンボジアで現場監督して、後藤さんは最初は自己資金で2、3校まで学校の建設ができたが、4校目から資金が底をつき資金集めまで日本で行いランさんと力を合わせて19校の学校建設にご尽力されました。

ちょうどそのラジオ放送が終わり次の朝5時のClubhouseで、今度は日本の中学生がカンボジアで教育を受けられない多くの子どもたちに教育費の寄付をするために、クラウドファンディングを立ち上げて小学校の教員向けにプログラミング教室を起業するという話が飛び込んできました。

たまたまカンボジアの子どもたちに関わる話でしたが、詳しくはまた後日書きたいと思います。



2021年11月2日火曜日

戦争インタビュー

 ラジオで度々戦争インタビューを聴きますが、私を含め戦争を知らない者にとって戦争を実体験された方のお話は大変貴重です。昨夜は102歳になる戦争功績係をなされていた方のインタビューでしたが、「戦争が残したものは虚しさだけ」だったと話されていた難波和夫さんという方ご自身の明確な言葉がとても印象的でした。

返す返す日本はなぜ戦争をしたのだろうと何度も思うのですが、当時の為政者には戦争へ踏み込まざるを得ない状況だったのであろうと今日の我々は過去を締めくくるしかありません。幸いにも80年近く日本は戦争をしていませんが、民主主義が齎した平和の時代が続いていることに感謝すべきだと思います。

災害と違って今回のコロナも戦争に世界が巻き込まれたようなものですが、地球温暖化の問題も含めて世界が一致団結して地球の安全と平和を希求する精神を共有する時代が到来することを望みます。各国とも2050年、60年、70年と脱炭素へ向けての到達目標は違いますが、共通の厳しい縛りは必須だと考える次第です。



2021年11月1日月曜日

ある医師の話

 先日、おおたわ史絵という受刑者たちの診療をする矯正局の医師のインタビューを聴きました。受刑者も最近は窃盗事件で投獄されている人が増えているようですが、受刑者の診療は常時刑務官の監視の下で行うので一般の診療より身の安全は保証されているようです。

おおたわ医師も好きで医師になったわけではなく、父親が開業医で母も元看護士という家庭故に医師の道へ進まざるを得ない家庭環境だったようです。それだけなら問題ないのですが、当該医師は2020年に「母をすてるということ」という壮絶な内容の書籍を世に出しています。

母親が子どもの頃の腹膜炎の後遺症なのか医師が中学時代の頃は鎮痛剤依存症となり、段々と酷くなり母の薬物依存症との闘いが医師になってもずっと続いたそうです。結局、母嫌いになり、縁を切りたくても家族なので逃げられなくて、生きている限り関わらざるを得ない過酷な環境ながら耐え忍ばれたようです。

その話を聴きまして、私の父母も子育てを放棄し、勝手気ままな人生を送ってきたので子供としては尊敬の余地もありませんが、父親は関係ないとしても母親だけは捨てることまで考えませんでした。いろんな人に様々な人生があることは、それぞれの生まれながらの生い立ちを聴いて初めて理解できるので興味があります。