2018年12月3日月曜日

真の動機

「人はほとんど自分に関するかぎり、その真の動機を知っていない」「人はある行為へと自らを動かしたものを見通せない」。したかったのか、せざるを得なかったのかさえ不明なこともあれば、同時代人が共有する観念に沿って自身の動機を読み違えもする。だから「何を為したか」以上に「いかに為したか」が重要である。 これは先日、朝日新聞の「折々のことば」に掲載されていた民衆思想史家の話です。とても意味深い内容でしたので、忘れないようブログに取り上げてみました。大河ドラマ「西郷どん」での西郷隆盛にしても行動の真の動機は不明です。カルロス・ゴーン氏も自分の行動に対しての真の動機は分かっていないのではないかと考えます。 物事の行動や経験の積み重ねにより、人間は神経も麻痺してしまうことがあります。バブル時代に酔ったかつての日本も同じようなものです。行動を起こす前に、何度も考えに考えれば、読み間違えることも少なくなるはずですが、気持ちが浮かれているとうっかり行動してしまうのです。 「他山の石」という諺が不祥事のたびに使われるのは、人間が同じ過ちを犯さないためです。しかし懲りないで、また同じような過ちを繰り返すのが人間です。先日、どこかの大学の先生がインフラ点検と称して橋梁補修を行っているが、補修が先を見通した補修になっていない、と話していました。何を補修したか以上に如何に補修したかが重要と言えます。

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