2018年7月2日月曜日

滝廉太郎

小学校の頃、音楽室の壁に世界中の作曲家の肖像画が張られていました。その中に、日本の作曲家である滝廉太郎や山田耕筰の写真もありました。子供ながらに、メガネを掛けている滝廉太郎が自分の父にそっくり似ていると思い、心の中で親しみを覚えたものです。「荒城の月」や「花」はあまりにも有名ですが、「荒城の月」の一節の最後に音符の♯が付いていたのを、海外に出すときに山田耕筰氏が取って♯無しの音符で現在に至る曲になったという話を初めて知りました。滝廉太郎は23歳10ヶ月という短命で一生を終えていますので、後に山田耕筰によって何故♯の音符が取り除かれたのか分かりませんが、できれば滝廉太郎の考えた曲の意思を引き継いでほしかったなと思った次第です。日本で初めて世界に認めらた作曲家である滝廉太郎について、ラジオのお蔭で本日は少し知識を得ました。有難うございました。

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