2020年5月28日木曜日

信仰

私は無信仰者ですが個人的に信仰を持つことはいいことだと考えています。まだ政治的イデオロギー色の濃かった大学時代に、大学内でも様々な宗教団体がサークル要員募集という隠れ蓑で信者を増やしている動きがありました。私の親しくしている仲間は殆どがイデオロギー対立に負けたのか入信していきました。私も無理やり集会に連れていかれて幹部の方から強烈な説得を受けましたが、断固としてイデオロギーの対立で相手との議論に負けたくなかったのです。つまり私自身にも学生時代から宗教団体との議論にも負けない自分なりの強いイデオロギーが存在したからです。あれから40年以上が経ちましたが、ある宗教団体の人たちとの付き合いは現在も続いていますが、熱心な政党支持者を母体として政治が国民目線からずれない様なチェック機能を十分に果たされていると第三者的にみています。私の実家は元来浄土宗で親戚筋は大体浄土真宗のようです。私は無信仰者ですが、ご先祖様の位牌を置くために自宅には仏壇だけは置いて、一年365日、毎日のように仏壇には水とお茶、お供え物しつつ合掌することを心掛けています。つまり、人間はぶれない真っ当な信念が必要だから信仰を持つのもいいことだと今回は言いたかったのです。大事なことは他人の信仰を尊重し、決して他宗教を批判しないことです。つまり歴史ある宗教には学ぶことが多々あるからです。

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