2018年1月25日木曜日

介護問題

経験や実感の湧かない若い人たちには興味が無いかもしれませんが、本日は私の経験も含めて介護の問題にフォーカスしてみます。今から8年前、私が扶養していた実母(私が幼少時に離婚し、別姓)が介護施設から入院、最後は病院で最期を遂げました。その4年前までは長年にわたり市内のアパートで1人暮らし(再婚後、死別)していました。法律的には、母の姉妹も嫁いでおり、本人只1人で身寄りは無いのですが、血の繋がりで親子関係を続けてきました。蛇足ですが、当然、再婚した父親(過去に死去)との関係はその後は形だけで亡くなるまでに年々薄くなっていきました。

本題に入りますが、母がアパートに住んでいた頃に隣人と揉め事ばかり起こして、遠方に住んでいる私宛に毎日のように苦情の電話が朝から晩まで自宅に掛かってきていました。高齢の母は私には心配かけないようにしていたのですが、隣人が通報して警察からも電話が掛かったり、私の家族中が悩みの種でした。役所の福祉担当者も施設に入居することを早くから勧めていましたが、言うことも聞かず、周囲に面倒をかけることばかりでした。その母がある朝、突然倒れて、遠方いる私に動けないのですぐ来いと言ってきたのです。たまたま親しくして頂いていた民生委員の方を呼んだのか駆けつけてくれていたため、私も急遽支度してその日の午後には母の元に着きました。動けない母を見て、これがチャンスと民生委員の方と相談して、なかなか納得しない母を無理やり説得して施設に入る手続きにやっとの思いで漕ぎ着けました。

私の母が最初入所したのは老健施設でした。しかし入居当時は要支援1くらいでしたので、入居している元気な方とは違い、多少不自由な身体でした。しかし、入居してからまた隣人と揉めだしたのです。施設からも厄介者のように思われて、何度も私宛に何とかしてほしいと電話がありました。施設を訪ねると母に会う前に事務所で散々施設側からクレームを聞かされました。その連続でしたが、漸く3年過ぎようとした頃に一方的に施設を移るように言われました。最初は施設の紹介もなかったのですが、ケアマネジャー1人が移る施設(グループホーム)を紹介してくれました。当時は介護1までになっていました。新しいグループホームでは、施設長をはじめ全員の介護士の方たちが大変親切にしてくれました。約1年でしたが、母にとって最期の施設は私自身も満足がいきました。

その後には病気で入院してしまい、私も側で看病もできず、次第に食事ものどを通らなくなって、最期は退院することもなく、病院で静かに亡くなりました。亡くなる前の深夜に危篤の電話がありましたが、遠方でのことであり、時は遅く、しばらくして息を引き取ったようです。遠隔介護の大変さと、自宅での介護において、法的には介護者に経済的・精神的保障は無く、金銭的、精神的に過度の負担が掛かかっている現実があることを知る必要があります。今後、高齢化が進むと介護者の負担の問題は全国的に発生すると思いますので、福祉国家イギリスのような行政の支援体制が介護者・要介護者の双方に支援体制が整備されることを期待します。昨夜のラジオ深夜便で福祉大学の准教授の実体験に基づく話を聴いて、私と同じ経験だと感じましたので今回のブログで自分の経験を踏まえて書かせていただきました。

0 件のコメント:

コメントを投稿