2018年10月1日月曜日

在りし日その2

「産んであげたのだから」この言葉は母の生前中によく聞かされました。それだけ子供に対する親心が母には亡くなるまであったのでしょう。私は1952年、福岡県田川市(当時は田川郡)という処で生まれました。父が戦時中の学生時代に福岡に住んだことが縁で母と見合い結婚することとなりました。後に性格の不一致で私を産む頃には別居状態だったのですが、親戚から産んだほうがよいとの事で迷った挙句に私を出産したらしいのです。結果的には幼少時は一時母子で暮らすこととなりましたが、その後、親権の関係で子供を手放さざるを得ず、熊本県天草市(当時は天草郡)の父の実家に預けられたのです。幼少時は母方の祖父にも可愛がられた記憶はありますが、結果的にはその後ずっと父方の祖父母と暮らすことになりました。無事、5、6歳から高校卒業まで過ごせたのはすべて父方の祖父母のお蔭です。子供は誰に育てられるかで動物と同じように懐くものです。父と母とは同じ屋根の下で暮らすことは出来ませんでしたが、祖父母の元で育ったその人生の方が却って良かったように思います。

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